第2章 ローカーボ研究の歴史
日本ローカーボ食研究会代表理事
灰本クリニック 院長 医師 灰本 元
カナダ、アメリカで活躍した内科医Oslerが編集した1923年の内科学教科書に2型糖尿病の食餌療法の記載があります。その主要栄養素の構成はP:F:C=17%:75%:2%で総エネルギー摂取量は1795Kcalと、一日わずか10gしか糖質を摂取しない驚くほど厳しいローカーボ(糖質制限)食でした。ところが、1921年カナダのBanting らによるインスリンの発見以後、2型糖尿病はインスリン分泌の促進及びインスリン抵抗性を改善する薬によって制御できるとの考えのもと、欧米は言うに及ばず日本の医師もこの食餌療法を忘れ去っていました。しかし、アメリカで10万人の2型糖尿病患者を10年間追跡した2018年現在の調査報告によると、医療費は1.8倍に増えたもののHbA1cはわずか0.1%しか改善しなかったとされています。日本の3万人規模10年間の追跡研究ではHbA1cは0.4%下がったと報告されていますが、この間の医療費は1.5倍~2倍に増えたと推定されます。いずれの場合も、費やした医療費の割には血糖のコントロールが改善しておらず、インスリン関連薬によって2型糖尿病を制御できるとの考は妄想だったのではないか?とも言えます。
ローカーボ(食)療法は長らく忘れられていましたが、1990年代にアメリカで減量を目的としてアトキンスダイエット(Atkins’ Diet)という厳しいローカーボ療法が流行し始め、2000年代半ばには大流行となりました。しかし、アトキンスはまったく臨床研究を行わない医師であったので、彼の療法は科学的とは言えず、いわゆる民間療法として流行したのです。
血糖調節の機構解明のため、1980年代に詳しい食事負荷試験が開始され、白パン25gと50gを食べた食後の血糖値は50gの方が25gの倍近くに上昇すること、つまり、血糖値の上昇は糖質の摂取量に依存すること(図2-1右)、そしてインスリン分泌も摂取糖質量に依存性することなどが報告されました。糖質50gを含むブドウ糖、精製パン、芋、米、果物を負荷したとき、ブドウ糖を100とすると血糖値上昇は精製パン、芋、米の順に下がり、米ではブドウ糖のおよそ1/3しか上昇しないことから、糖質摂取後の血糖値の上昇は摂取糖質が由来する食品によって異なることも報告されました(図2-1左)。さらに、1990年代には脂質とタンパク質は血糖値をほとんど上げず、インスリン分泌も起こさないことが明らかになりました。
食餌療法の科学的検証はさらに進み、1990年から2006年の間に肥満患者と高脂血症患者を対象にローカーボ(食)対ハイカーボ(食)の無作為化比較試験が数多く行われました。 その結果を踏まえ、2006年にKatanらがアメリカ臨床栄養学会誌に総説を掲載、ローカーボ(食)は、①減量、②血清の中性脂肪値低下、③HDLコレステロール値の上昇の各項においてハイカーボ(食)に優るとの結論を出しています。これにより糖尿病の発症に繋がるとされる症候群の発現に糖質の摂取量が主役を演じているという現在では基本とも言うべき事実が明らかになったと言えます。
2004年にはGannonらが2型糖尿病患者に対しローカーボとハイカーボの比較負荷試験を行ったのを皮切りに、 2型糖尿病患者を対象にした数ヶ月~2年にわたるローカーボ対ハイカーボの比較臨床研究が数多く報告されました。わたしたちも2008年に同種の比較研究結果を発表しています。
これら比較研究の2014年までのデータをもとにメタアナリシスが実施され、糖尿病薬の併用可という条件のもとで、ローカーボ(食)と1600kcalにカロリー制限をしたハイカーボ(食)の二つの食餌療法による糖尿病の治療効果について無作為化比較試験の結果が報告されました(図2-2)。
その結果は以下の4点に集約され、
①HbA1cに両者に差がない条件を設定した。
②ローカーボは中性脂肪の低下とHDLコレステロールの上昇の点で優れる
③体重には差がでない。
④ローカーボは糖尿病薬の投与を減少させる。
と云うものでした。