患者の心(その4:まな板の上からの帰還)
患者の心(その4:まな板の上からの帰還)
渡辺病院 医師 中村 了 記
うっかりと硬性鏡の処置を承諾してしまった。
今さらジタバタしても始まらない。
じゃあ・・・と言って、院長先生みずから硬性鏡を手に取って、挿入された。はたして・・・
想像通りと言えば想像通りだったが、硬くて太い金棒が尿道に入ってくるなり、激痛が脳天にまで響くように走った。思わず声が出て、脂汗が全身の毛孔から噴出した。1分が1時間にも感じられた。
おそらく3分くらい(自覚的には3時間)たったころだろうか。主治医の先生が、
“だいたい半分取れました。もう少し頑張ってください。”と途中経過を教えていただき、励ましてくださった。
しかし、医者の言う“もう少し”は、たいてい“少し”ではないことも知っている。こちらとしては、もう何でもいいから、早く終わってくれ、という気持ちだった。
さらに、地獄の3分がたっただろうか?
“これで全部取れました!”と院長先生の声。
もう神の声に聞こえた。
ホッとしたが、その次の瞬間・・・
“では最後に、もう一度内視鏡を入れて、確認しますね。”
あっという間に、地獄に逆戻り。
何度も内視鏡や硬性鏡が往復しているものだから、尿道はかなり損傷を受けていたのだろう。普通に内視鏡が通過するだけでもかなりの痛みを生じるようになっていた。
さらに灼熱の火あぶり2分間が過ぎただろうか?ようやく確認作業がすべて終了。
内視鏡が抜去されたときには、もう全身に力が入らない状態になっていた。
“はい、ではベッドから下りてくださいね。”と看護師さんに言われたものの、ふらふらして、歩くのがやっとであった。
這う這うの体で検査室を退出し、検査着から普段着に着替え、待合室で待った。
締めて10分間程度のことであったが、10時間くらい経ったように感じた。
しかし、なにはともあれ、最大の峠は越えた。これで、処置のために再来院する必要はなくなった。それが何よりの収穫だった。
“中村さ~ん”
受付で呼ばれた。
“えーと、こちらが止血剤で、こちらが抗生物質です。”
受付の女性の笑顔が、女神さまに見えた。
職場に車で戻る途中、徐々に麻酔が切れてきた。それとともに、尿道全体がシクシク痛み出した。そうか。今までの痛みは、あれでも麻酔が利いていたので、まだマシだったのだ・・・
次第に、小さい方の生理的欲求が強くなってきた。
職場までは、まだ20分くらいかかるだろう。しかし、我慢するしかなかった。
ようやく職場に戻り、急いでトイレに駆け込んだ。
緊満している膀胱からの圧力で、小便が勢いよく押し出されようというそのとき、傷ついた尿道に激痛が走り、ふたたび顔から汗が噴き出して、足がガクガク。しかも、出てきた尿は真っ赤。なんともグロテスクである。じっとしていても股間が痛んで、歩くのもままならなかったが、仕事をしないわけにもいかないので、何食わぬ顔で歩幅を小さくして、ソロリソロリと病棟回診をした。
この状態が、2~3日続いた。
しかし、4日もたつと、ようやく尿の色は透明な黄白色になり、痛みもほぼなくなった。そして、泌尿器科受診前のような尿閉の症状は、まったくなくなった。
平穏な日常生活が、こんなにもありがたいものか?
八百万の神様、森羅万象に、ともかく深く感謝し、少なくとも数日間は神妙だった。
その後、採血・画像検査なども異常なく、血腫ができた原因は不明、ということで落ち着いた。
以後、血尿も尿閉も何事もなく、今日まで無事経過していることは、なんともありがたいことである。
この一連の嵐のような出来事は、私に患者の心の動きを再教育してやろう、という神様の思し召しだったのかもしれない。合掌。