ヒトツバタゴと蛭川2
ヒトツバタゴと蛭川2
加藤 潔 記
ヒトツバタゴと蛭川1 はこちら
お目当ての奈良井の和田川左岸で見た2本のヒトツバタゴはまだ満開には至らず、膨らんでいた期待はあっけなく萎んだ。この地区は標高が350mと上野木より50m程高いので、わずかの温度差が開花の度合いの違いを生んだのだろうと推測し納得することで緩和を図った。遠が根から東雲橋まで蛭川を縦断する和田川沿いに分布するヒトツバタゴはこの地のシンボルで、後で立ち寄ったヒトツバタゴの名を冠した菓子舗で、今年は夜間の気温が低いせいか開花が遅れ気味であることを聞いた。またヒトツバタゴの一つの個体の弱々しい樹勢、隣接する浄化センターから時折漂うかすかなアンモニア臭、さらには途中で立ち寄った道の駅博石館の売店とレストランの賑わいとから山間の農村の今を見る思いがした。それでも、西に笠置山を望み、和田川のせせらぎを聞き、ウグイスの鳴き声を楽しむことが出来、暖かい光に緑が萌える景色はそれだけでも安らぎを覚えるに十分であった。
お昼は東濃名物の五平餅のお店でとった。店のご主人が注文を受け、すぐに調理をする音が聞こえ、団子五平の焼きあがるこうばしい香りがし、やがてお店の奥さんが甘だれの五平餅と味噌汁、漬物、緑茶を組み合わせた二人分の定食を運んできた。窓外に笠置山を望みながらの食事は簡素であったがとてもおいしかった。しかし、この伝統的な食事は高食塩で米が主体の紛れもないハイカーボ食である。
・・・殆どの日本人は明治以降も基本的にはご飯、味噌汁、魚、漬け物という質素な炭水化物主体の食により命を繋いできた。自然と日本人には炭水化物を効率よく吸収利用し克つ飢餓に備えて剰余分をせっせと体内に蓄積することの出来る省エネルギー型の代謝系を発現させるゲノムの保持者が多くなっていたとしても不思議ではない。飽食の時代が訪れたのはここ40年程のことである。その結果として多発したメタボリックシンドロームとは、長い飢餓との闘いの歴史から見ると突然ともいえる炭水化物の過剰な摂取に対して起きた本来生理的な防御反応が行き過ぎとなり、病的な域にまで達してしまった状態を指すのではなかろうか。伝統的農林水産業をあまりにも軽視した上に成り立っている日本の飽食時代の基盤の危うさを考えると、現在嫌われて悪玉となっている省エネルギー型の代謝形質は、この先再び善玉として再評価される時代が来るに違いない・・・
再び現に戻り、菓子舗で草餅と柏餅を求めてから和田川に沿って遠が根峠に向かった。蛭川から白川へ出て、飛騨川沿いを下る道を帰路にとるためであった。