日本ローカーボ食研究会

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砂糖についてのあれこれ(その3)

砂糖についてのあれこれ(その3) 砂糖の歴史(中国編)

安井医院 安井廣迪 記

 中国には、砂糖の原料となる甘蔗(サトウキビ)は古代から存在しました。中国に生育している甘蔗は、世界中で栽培されているSaccahrum officinalisではなく、ほとんどがシネンセ種Saccarum sinensisというやや茎の細い種です(一部はSaccarum spontaneumの可能性あり)。やはりインドから伝わったようです。
中国において現存する最も古い薬物書である『神農本草経』(紀元200年頃までに成立)には、甘蔗がすでに記載されていました。
内容は次のようなものです。
「甘蔗は、味は甘く、(薬性は)平で毒は無い。気を下し、中を和し、脾気を補い、大腸を利す」
これは、「甘くて、身体を温めも冷やしもせず、消化機能を促進する」ぐらいの意味ですが、食品としては認識されていません。
唐の時代に書かれた『新修本草』(659)には、注として次のような言葉が書かれています。
「今、江東に出ずるものは優れている。廬陵のものもまた好いものが有る。広州の一種は数年で生え、皆大きな竹のようであり、長さは一丈(約3メートル)に余る。汁を取って沙糖(砂糖)とすれば、ますます人を益する。このほかに荻蔗というものが有る。節は疏で細く、やはり啖(くら)うことが出来る」。
『新修本草』の中には、沙糖(砂糖)の記事が出てきますが、沙糖はすでに紀元500年ごろに存在したとされる『名医別録』に記載が見られます。
「沙糖は、味は甘く、(薬性は)寒で毒は無い。功と体は石蜜と同じで、冷利であること之に過ぎる。甘蔗の汁を搾って煎じて作る。蜀の地、西戎、江東にいずれも有る。江東の者は以前は劣っていたが、今は優れている」
ここには、沙糖は、甘蔗の汁を搾って煎じることによって得られることが書かれています。石蜜は、甘蔗の加工品の一種です。
また、沙糖は、性質が「寒」とあるので、体を冷やす作用があることを示しています。効果も形も石蜜と同じで、冷やす作用も大腸を利す作用もこれより強い、と甘蔗とはやや異なった薬効が記されています。
すでに産地が明らかになっています。
蜀の地は、現在の四川省、三国志の英雄たちが活躍したところです。
西戎とは、中国の西方の未開地の意味ですが、現在の陝西省、四川省、甘粛省のあたりを指します。
江東とは、長江の下流域で現在の浙江省に相当します。
いずれにせよ、中国でも南のほうに産出したもののようです。また、これより後、サトウキビには、いくつかの種類があることが知られていきます。先に出てきた荻蔗もそうですが、そのほかに、竹蔗、西蔗、崑崙蔗などがあります。
『新修本草』の約50年後に、孟詵(621-713)が『食療本草』(710頃)という本を書いています。これは、食物を医学的に見てその効能を説いたもので、今で言う食事療法本のはしりと言えましょう。この本の中で、彼は次のように言っています。「甘蔗は、薬性は温で冷やさない。多く食べると心痛をおこし,長虫を生じ、体は痩せ歯を損ない,疳の虫を発する」。
孟詵は、医家であったばかりでなく、食事療法の専門家でもありましたので、食物の持つ特性を、通常の医者よりはるかに良く知っていたと思われます。この記載の中で、食べ過ぎると発症する疾患としてあげている「心痛」は冠動脈疾患かもしれませんし、「体は痩せ」は進行した糖尿病のようでもあります。何よりも「歯を損ない」は虫歯のこととしか考えられません。
食療本草の更に約50年後に書かれた (675-755)の『外台秘要』には、「口が渇いて水を多く飲み、小便も多く、脂がなく麸片に似ていて甘い味のするのは消渇である」と、糖尿病と思われる症候が記されていますが、砂糖との関係は述べられておらず、治療に甘蔗を用いる例として、「小便が赤く渋るものには、甘蔗を取り、皮を去り、汁を咀嚼し、これを咽にいれる。四絞り汁でもよい」と書いてあるだけです。
☆             ☆
 これらの本草書や医学書の記載は、その後の本草書に受け継がれ、図も添付されるようになりました。
時代は下り、宋の時代になって、1116年(政和6)に曹孝忠らが刊行した『政和新修経史証類備用本草』(通称『政和本草』)には、甘蔗の形をよくとらえた絵が掲載されています。

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 『政和新修経史証類備用本草』より甘蔗の図

 明代になり、1596年に刊行が開始された李時珍(1518-1593)の『本草綱目』は、『神農本草経』や『新修本草』や、それ以降の本草書の記載をほとんど全て取り入れて増補し、それまでの経験を踏まえた総合的な記載を行っています。
たとえば、「甘蔗は脾の果である。その漿(搾り汁)の味は甘く性質は寒で、(体の中の)熱を冷ますことができる。煎じて練り固めて糖にすると、性質が温になって体の中の湿熱を助長する。古くから、甘蔗の搾り汁は、口渇をいやし酒の毒を解すると言われている。」と書かれています、ただ、「昔、孟詵は酒と一緒に食べると痰が体内に生じると言ったが、酒の毒を消し熱を除く効果があることを知らなかったはずは無い」と、ここでは孟詵の意見に疑問を投げかけている部分も見られます。
清代になると、臨床的に簡便に利用される本草書がいくつも書かれました。それれらは、ほとんどが『本草綱目』の内容のダイジェスト版で、新しいことはほんのわずかしかありません。たとえば、1757年に呉儀洛によって書かれた『本草従新』も同じようなものですが、この本には、白沙糖のほかに紫沙糖(絞り汁を煎じて紫黒色になるまで錬ったもの)の項が設けられ、ここには「血を和す」作用があると述べられています。具体的には、「産後に服用すると血が和し、悪露が自然にめぐる」と書いてあります。
☆             ☆
 砂糖はその原植物の甘蔗を含めて、『神農本草経』以来、近世まで一貫して薬物として取り扱われてきました。しかし、薬品としてもそれほど使われたわけではなく、食品としても、家庭での食材の1つとして、蜂蜜や椰子糖と同じように用いられていただけのようです。
現在の中国では、砂糖を薬物として考えることは、ほとんどなくなっています。中医薬大学で使用される教科書には、甘蔗も沙糖も掲載されておりません。
砂糖は、近世において、西洋世界では世界史を動かすほどの世界的商品であったのですが、中国はその動きには無頓着でした。中国の伝統菓子に甘いものがほとんど無いのが、それを物語っています。
甘い砂糖よりもっと良いものがあったということでしょうか。

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