投稿日時: 2011/09/09 16:08:00
加藤記
やせ土壌の東海丘陵に生育するシデコブシは、控えめな花の姿から受ける印象とは違ってある意味とてもたくましく、とても個性的な生き方をするこの地に固有の身近な植物である。
三十五年ほど前、教室宛に一通の航空便が届いた。米国の植物学専攻の大学教員が退職を機にシデコブシを見に行きたいので案内してくれないかという内容であった。当時の小さな教室は研究に分子遺伝学的・遺伝子工学的手法を取り込むのに性急で、急速なmolecular shiftを始めていた。いきおい植物の多様性について見識のある碩学は見あたらず、手紙は私もその一員であった植物生理研究グループへと持ち込まれた。しかし、私たちも手に負えず、手紙は当時の教養部で植物生態学を専門とする知人のHさんへと回された。幸いそこで米国の老植物学者の願いは叶えられた。この時がシデコブシの名を耳にした最初であった。無論、老学者が何故わざわざ名古屋に出向いてまでしてシデコブシを見たいのか知るよしもなかった。
大学院に進学してからの私は植物の生体静止電位と細胞膜静止電位を精密に測定する機器の開発に没頭し、実験物理または工学研究科の院生のような生活をしていた。植物種についての知識は恐ろしく貧弱で、恩師のM先生が日常的に学名で植物についての議論をする知識の該博さに接する度に圧倒され、手も足も出ない状態であった。因みにM先生は微生物を材料にエネルギー代謝系の生化学的研究を主宰していた。
三十歳を前に一念発起し、せめて東山地区に生える樹木は識別出来るようにしようとポケット版の学生版牧野植物図鑑を購入、同僚でナチュラリストのIさんの教えを受けて繰り返し樹木を観察した。おかげで構内のニレ科、ウコギ科とドングリのなるブナ科の樹木についは何とか識別出来るようになった。するとさらなる興味が湧き、貧弱ながら樹木についての知識は次第に広がった。ただシデコブシにまでは届いていなかった。
後日Iさんからシデコブシを一株いただく機会があり庭に植えてみたが、目立った成長をすることもなく花もつけなかった。しかし、後年日当たりの良い場所に移植したところ、めきめき成長して3月末に花を咲かせるまでになった。シデコブシの名を初めて耳にしてから既に20年が経っていた。この頃、愛知万博開催予定地の海上の森の整備計画が明らかとなり、森の保護運動が湧き起こり、森に生息する希少生物について報道されることが多くなった。絶滅が危惧される植物であるシデコブシも例外ではなく、植物学・地学の視点からの研究報告もあった。先の生態学のHさんも論陣を張っていた。その頃にはシデコブシについての私の認識もいくらか深まっていて、米国の老植物学者の訪問希望を理解できるまでになっていた。